付き添い婦I子さん

  • 私の母は脳腫瘍を患いました。都内の大きな病院に入院しました。そこで一人の付き添い婦さんのお世話になりました。

  • お名前の頭文字をとって、「Iさん」、「I子さん」と呼ばせて頂きます。その付添い婦さんは、その病院では有名でした。看護に心がこもっているからです。

  • Iさんは生い立ちが不幸でした。

  • 母は絶世の美人でした。その母は自分の娘であるIさんを小さな時から、「可愛くない」と言って極度に嫌いました。一方、下の妹は母とそっくりで美しく、母はその妹を溺愛しました。

  • Iさんは心の中では、自分の母が美しいのが誇りで、一緒に並んで町中を歩くのが夢でしたが、その夢は生涯叶えられることはありませんでした。いつも数歩後から歩くことを厳しく命じられました。家が貧しかったので、口減らしのためにさっさと長女のI子さんを養護院にあずけました。

  • 成人した後、妹は、不幸なことに、不慮の事故で駅のプラットフォームから転落し、死んでしまいました。

  • 母は狂ったように泣き悲しみました。その遺骨を抱き、夫の仏前で「あなたはどうしてこの子を先に呼んだのですか。何故、この子の代わりにI子を呼ばなかったのですか」と大声で叫んだといいます。話を直接聴いた私は、言葉を失いました。I子さんのお顔を見ることができませんでした。

  • その母は老いていきました。そして病の床に伏せました。息子さんもいましたが、その母の面倒を見ようとはしませんでした。その負担はIさんにきました。

  • Iさんは喜んで身の回りの世話をしました。しかし、母は、Iさんを毛嫌いしました。母は一度老人ホームに入り、さらに身体の具合が悪くなりました。そこで、Iさんは、自分の狭い家に母を引き取りました。そして、看病を続けました。

  • 母は次第に口数少なくなり惚けていきました。その母は、Iさんを頼るようになりました。そして、Iさんを「おばさん」と呼んだのです。母は、Iさんが部屋にいる間、目で追いました。大切な人がどこかに行ってしまわないようにというように目で追いました。Iさんは、医者が見込んだ母の余命をさらに数年延ばしました。そして、Iさんの慈しみの腕の中で生涯を閉じました。Iさんは、私に、「わたしは、幸せでしたよ。だって、わたしは、最後は母を独り占めにしましたからね。それは、わたしの夢でしたから。」とさらりと言いました。

     それは、一人の人間の愛が、地獄を極楽に変えた奇跡の物語でした。人間はどうしてこのようにむごいものか、また、どうしてこのように美しいものか、と思わざるを得ません。